手相の基礎
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鑑定士物語

1991年創設以来、東明学院からは次々に素晴らしい運命コンサルタントが巣立っていきました。
東明のレジェンド(伝説)たちの数々の名鑑定や温かみのあるヒューマンストーリーをお楽しみください。

吉成 要子先生
吉成 要子先生

回り道はしたけれど、天職を手に入れました

2008年11月07日更新

両親ゆずりの行動力

「知能線を見れば分かるでしょ?」

生命線から離れて力強く伸びる知能線は、吉成先生がいかに行動派の人間であるかを示しています。加えて好奇心も人一倍旺盛。
高校を卒業すると地元、水戸にある文化服装学院に入学しました。

「母は洋裁の先生をしていました。だから子供の頃の洋服は全て母の手作りでした。父は才能を生かして本業の傍ら書道の先生をしていましたし、定年後も教室をさらに増やして精力的に教えていました」

吉成先生の行動力はご両親譲りのようです。編み物専科に進んだ先生でしたが、在学中は“遊びほうけて”しまったとかで、技術も知識も一通りマスターしたのに、資格だけ取り損なってしまいました。そして卒業と同時に結婚。

「私はそんな気になれなかったのですが、いとこの紹介で会った人は私より8歳年上。彼は適齢期、どうしても結婚したかったようですよ。私でなくても良かったのではないかな」

とおっしゃる先生は大変にチャーミングな方です。
結婚し子供も生まれました。そして、ここからが吉成先生の“じっとしていられない人生”の始まりです。

じっとしていられない性分なの

まずは某化粧品会社の美容カウンセラーというお仕事をゲット。生まれて始めての就職です。戸別訪問でお客様と触れ合うこの仕事、本来“控え目な性格”の先生には少しきつかったようですが、新設したばかりの営業所の所長に「ぜひ一緒にやって欲しい」と懇願され、その熱心さに押し切られたかたちでのスタートになりました。

「ロールプレイ、つまりお客様を目の前にした自分の役割を、マニュアルに沿って何度も練習するのです。演技するというのかな。徹底的に叩き込まれました。そして、銀座の本社で表彰されるだけの成績も残して自信もついたのですが、ハード過ぎました」

1年3ヶ月の間に、真面目な先生は8キロも体重が減ってしまいました。
でも「鍛えられました、今につながっています」

忙しい仕事の合間を縫って、運転免許を取ったのもこの時期です。
次の仕事は子育て真っ最中ということもあり金銭的な安定を求めました。地元にファックス製造会社の大きな工場があり、そちらに準社員として就職。8年間ファックスの検査をする仕事についていたのですが、なんとある日、初期癌と診断されます。

「結局、ストレスですね。やりたい仕事として始めたことではないので、どこか自分の心をだましながらやっていたのでしょう」

即、入院、手術、ということで退社しました。

「回復後、同じ職場に復帰したのですが、会社に行くと動悸が激しくて。自律神経の拒否反応ですかね」

この8年間、仕事以外では社交ダンスと茶道に没頭しました。

「どちらも、先生になるだけの経験は積めませんでしたが、ダンスをやったおかげで姿勢が良くなりました。茶道はがさつな自分を変えたい、と思って始めたのです。日本女性としての控え目な生き方、みたいなものを知りたかったんです。歩き方、ふすまの開け閉めなど美しい動作を学ぶこともできましたし、大いに人生のプラスになりました」

体調と相談しながら過ごしたその後の2年間。家にいながら何をしていたのでしょうか。

「犬を飼っちゃいました。マルチーズです。いつも一緒にいたので、人間の言葉が理解できるんです、ほんと。それと、エステティックサロンでの仕事も始めました。ただ、これは性に合わなくて6ヶ月で辞めました。あとは着付け教室に通って“花嫁着付け師1級”の資格を取りました」
やはりじっとしていられなかったようですね。

東明との出会い

着付けの資格を取った先生は、個人経営の呉服屋さんに就職します。売り上げが低迷する店を何とかしようと、“振袖のレンタル”を提案。もともとカメラマンだった社長が撮影を担当し、メイクと着付けは吉成先生が担当。ヘアメイクも自分でできればと、その上ヘアメイクの学校に行くことにしました。

「『ケイコとマナブ』って雑誌があるでしょう、あれを見て新大久保にある学校を選んだの。その時、同じページにある東明学院の広告が目に入って、ああ行きたいな、って思ったけど、時間がなくて。それで、ヘアメイクの学校が終了した後、東明学院に入学したの」

取得した資格をフルに生かし呉服店でがんばる間も、東明学院で勉強を終えた先生は、プロの鑑定士としての仕事も始めます。

「5年ほどは呉服店と占いを掛け持ちしていました。でも、大手の店や会社が着物のレンタルを次々に始めるなかで、個人の呉服屋さんは辛くなってきましたし、好きなほうを選ぶことになり、最終的に占いの仕事に絞ることにしたのです」

それ以来、鑑定一筋の人生です。でも相変わらず、じっとしてはいません、と言うより、じっとしていられない毎日なのです。週に3回は新宿の東明学院で講師を務め、週の2日は“LaLaガーデンつくば店”の店長として鑑定の仕事。その他、勉強会や会議など、家にいる暇はありません。

ですから、家にいるときは二人のお孫さんが片時もそばを離れないようです。家にいるときは料理も大好きですから台所に立ちます。でも、あくまでも自分のため。

「お酒が好きなんです、もちろん手術をしていますから、ほどほどに。作るのはもっぱら和食かな。会社にもお弁当を持っていきます」

では、ご主人のご飯は?

「長男のお嫁さんが作ってくれます。仕事を終わって帰ると、9時過ぎになってしまいます。それではかえって主人がかわいそうですものね」

もっとお客様に喜んで欲しい、勇気を持って欲しい。良い人生を探すお手伝いをもっとしたい、といつも思っている吉成先生。
「今はすごく忙しくて、主人の世話どころか、自分の趣味の時間も全くないような状態なの。でも、かまいません。この仕事は天職だし、お客様の相談に乗ることが大好きだから」

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